ブリュッセル日記

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■□ SNSの是否その2

全回書きなぐったのは主にFacebookの便利さについてだけだったので

もうちょっとこの媒体の全体を見渡してみたいと思ったのだが、色々

あるというSNSといっても名前をちょっと聞いただけで何がどう違う

のかも判らない。

 

FB(Facebookの事、以下省略)で実に興味深いポストを写真と共に

投稿していて、何百人ものフォロアーを持っていた人がいた。彼は

プロの写真家でNew Yorkで暮らした事があり、お曾祖父が戦前

中国で商社マンであったこともあって歴史をそのまま語る様な白黒

写真も掲載して実に面白かった。

 

同時にベジタリアンで、時と共にヴィーカンになり、ヨガとストレッチ

で鍛えた素晴らしい肉体を掲載する様になり、Instagramについての

話題が多くなってきていた。曰く、ああだこうだとごたくを並べる

FBより写真が物語るインパクトが素晴らしいという事、世界的に

有名なアーチストが彼の掲載に「いいね」をしてくれる刺激、そう

いった魅力にだんだん惹かれて行っているのが判り、ある日FB

の世界は嫌になりました、Instagramに移ります、との投稿を最後

にFBアカウントを閉めてしまった。

 

残念ではあったが、うすうす彼のフラストレーションみたいなもの

を感じていた私にとっては驚くことではなく、でも、何も画像で

売れるもののない平凡な市民である自分はInstagramで有名

アーチストにいいねをしてもらうつもりもなく相変わらずFBを

続けているのであるが、彼が最後に残した「この世界(FB)が

嫌になった」という言葉に?と思ったのである。まあ、好き嫌い

なので誰が正しいとか間違っているという事ではないが、では

果たして移行したInstagramが客観的にずっと素晴らしい世界か

というとそれは怪しい。利用者の性格が違うという事もあるかも

知れず、視覚型と文章型の違いか、アーチスト系と一般市民系

か、有名人というアンテナの高い人と触れたいか、お友達と

楽しく連絡をとりたいか。まあそんな程度の違いなんではない

かと勝手に定義付けたりしている。

 

誰かが言っていたのはFBはお世辞媒体で、Twitterは罵倒媒体

とか。つまりFBはポチッといいねをして一言二言褒めればそれ

でボードが埋まり、「お友達」が沢山いる人はいいねも多くて

嬉しい、その数を数えて喜ぶ事もある。確かに人情としていいね

が多いと嬉しいのは事実である、が、まてよ、その数を数える

事が無意識に目的になってしまうのはちょっとヤバいのでは

ないかとある日思った。お世辞媒体の局面がないとは言えない

で、いいね嬉しいまでは良いが数を数えるのを目的にするの

は知らないうちにやっぱりウケをねらう心が働く様になると

変な依存症になる恐れがあるからである。まあ、ほとんどの

私の「友達」(テクニカル用語)にはそういう人は居ない

普通の人達なのでそこまで気にする必要はないのだが。

 

アカウントはないが、Instagramに関してはかなりはっきりと

いいねを狙っている人、見てもらいたい願望、はては

ナルシストが居るらしい。写真を掲載するからには何か

見せるものがないとならない訳で、美人とか、肉体美とか

アクロバットとか、料理やら、スポーツ、等々何か視覚的

に人目を引かないとならない。中には素晴らしい世界を

持っている人もいるだろうし、覗いてみたい気もするが、

何せ何も見せるものがないお粗末さ、ばかちょん(これは

差別用語だと注意されましたが、語源知らなかったので

許してください)写真しか撮れない私はとうてい加わる予定

はないのである。

 

Twitterが罵倒媒体であるというのは、あれは匿名でも良い

とか?聞いているので、プソドか何かで有名人に近づいたり、

誰かを罵倒する事で日々の単調な生活のウサを晴らす人も

多いらしい。自分の身柄を明白にしなくて済むとなると

途端に罵詈雑言を吐くというのはあまりにも情けない、

まるで気の弱い人が酒がはいるとぐずぐずになりからむ

と言うのと同じではないか?そう思うとこれにも加わる

つもりもない。

 

いづれの媒体を選んでも自分の実生活の基盤を大切にして

る場合異常なナルシストになる事も、人をこき下ろす事

もない。避けたいのはこういう媒体を憂さ晴らしだけに

使う事になり依存症になってしまうと言う当たり前の事

位しか言えないのだが、そう言う自分もやはり毎日除き

ああだこうだと書き込みをするのがストレス解消になって

いる、タイムラインでいろんなコメントを交換できるのは

有り難い。ちょっと気をつけているのは特に土日に

のべくまくなしにPCの前に座らない様にする事で、一応

ちょっとは掃除をしたり、本を読んだり、散歩をしたり

を心掛けている。小市民そのもの、やっぱりInstagram

は無理な様である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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■□ Cameleon

最近発見した俳優さんがいて、言葉が足りないのでどう表現して良いのか判らないが、

一言で言うとWaw! という実に言葉にならないものしか出てこないというのが情けない。

 

以前からこういう人が居るという事は知っていて、まあハンサムな若者ね、程度で

特別ファンでも何でもなかった。ある日SNSの端に偶然彼がGUCCI Guiltyという

男性用香水の宣伝をしているビデオが入ってきた、あれ、これ彼?いつも長い髪で髭

というイメージから全く変わって短いすっきりとなでつけた髪、髭のないつるつるの顔、

音楽と共にベニスで撮影した優雅な美しい画像、わぁ綺麗な人とびっくりした。

 

しかしながら、モデルさんならいくらでも美しい男はいる、が、私はどんなに彼らが

美しくても全くなにも感じない、だって姿が商売道具というだけだもの。

 

引き込まれる要素になったのは、ちょっと興味が出て彼の出演した映画を捜してみた

時に幾つか出てきた作品を知ったからで、まずまたまたびっくり仰天はChapter 27

というフィルム、John Lenon を殺害したMark Chapmanを演じているのだが、

これがまあデブで油ぎってて近所ですれ違っても振り返る事もないだろうというブ細工

な男。実在の人物の写真に似せる為30Kg近く体重を増やしたそうで、100回見ても同じ

人物とは信じられないのであった。

 

もう一つは、彼がアカデミー助演男優賞を得たというDallas Buyers Club、ここでは逆に

がりがりに減量をしてエイズに侵されたTrans sexual を演じている。女装で様になる

俳優は素顔でも結構女性的な要素がある事が多いのだが、普段の彼は一見では特に

そういうタイプではないのでこれもまたまたびっくり。

 

一番最近の作品はSuicide Squadtというかなり過激なファンタジーで、そこでは

Jokerという狂気の役を演じている。

 

うむ、これは確認、一体何が?つまり彼は単なるハンサムな若者ではないのである、

すごいのはもっとその中に潜む狂気を演じられる感性というか、ファンになったのである。

今気にいっているピカ一の人なのであります。残念ながらどの作品も見るのを逸して

しまっている、なんとかDVDでも手にいれて見たいものである。ちなみに、ブラッセルで

以前私が住んでいた地区で撮影をしたMr. Nobodyも探さねば。彼の名前は Jared Leto,

青年と言っても44歳で大人の男なのだが、20代の頃よりもずっとずっとセクシーで

魅力ある男になっている。興味ある方はお試しあれ、え?試すって何を?

フィルムを見るという事です。

 

 

 

 

 

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■□ SNSの是否

Social Network Systemは軽薄か?という問いかけに対してもちろんいろいろな

意見がまたまたSNSで言われ尽くされているのだが、結局それも視点の違う意見で

あってどれも事実、どれも的を得ていないというのが現実ではないかと思う。

 

そういう私も凡庸にFace bookを利用している口だが、いい悪い、....であるべきは

さておいて現実として大変便利な媒体である事は否定できないのである。人に

よっては「ふん、あんな掲示板にいろんな事をご披露するなんて軽薄な...」と、目も

くれない人もいるし、それはそれで良いし、最近はもうFacebookは年寄りに占領

されつつあって流行遅れになった、若者はInstagram かTwitterに移行している、

という意見もある。が、メディアのばらまく情報に追い立てられてもうそれなら

移行しようというのもそれこそ操られている事になるし、私は少なくとも今の所

かっこよく他の2つ(もっとあるらしい)に移ろうとは思わない。

 

2人ほどFacebookにaccountを持っていて「友達」が500人以上もおり、毎日毎日

ずらずらとポストを掲載し、100件近くの「いいね」をもらっていた人が居たが、

あるひ、ぽっと掲載を止めてしまった。一人は元々の友人でメールでたまに交信する

ので聞く機会があったが、もうあの軽薄なノリに疲れた...そうで、もう一人は

ある日FBアカウントを閉めます、もうこの嫌な世界を持ち続けるつもりはありません!

と宣言、Instagramに移るという事でリストから消えてしまった。

 

この例で感じたのは、FBで極限まで注目を浴びる所まで行ってしまった人の場合もう

そのエクスタシーがどこかで満たされなくなってしまうのではないだろうかという事

で、元々彼らの目的は暗黙のうちにも「注目される」事にのみあったのではないか?

という事であった。もちろん、誰にでもそういう欲求はあるし、無名の市民から

ちょっと存在価値のある個という気持ちをひととき味わえるにはSNSは良い媒体

ではあるが、FBはダメである、ならInstagramやその他はより良いかというと、それ

は全く主観的な嗜好にすぎないのだと思う。

 

SNSで特別な自分に注目してもらいたいタイプの人はある一定の時期がすぎると

どの媒体でも飽和状態になり別な媒体を探してさまよう状態になるという気がする

のは個人的な見方かもしれない。

 

自分の場合は、FBのお蔭?で限定された生活空間、仕事と家の行ったり来たり、から

かなり気分転換になっている事、便利な情報、着目すべき出来事、あとは何人かの

大切な人との迅速な連絡(時には2〜3人一度に)等々に実に役に立っている。

これで知り合った人と実際に会った事もあり、こういう部分は昔ではあり得なかった

役得であると思っています。

 

うっとおしい部分もあり、先日リオのオリンピック直前に掲示板がその宣伝で埋め

尽くされ、それを勝手に送ったのが公共掲載団体であったので文句を言って即

消してくれ!と言ったところ「あなたは興味がないのか?」という返事が返って

来た。そうではなくて見たい場合はTVで見るが、勝手に掲示板を埋め尽くされて

他のポストが全く何も見られないではないか、と答えたら消してくれた。

 

長短はあるが、今の所私は流行遅れだろうが何だろうが、FBは便利に使っている

のである。遠隔地に住んでいる娘との交信にも実に便利だし、これはこれで

いい、私を見てチョーダイでなく、これを見てくださいというサイトを載せる

のにも便利である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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■□ 鍵を手にしたが...
半年近くもほったらかしだったアカウントに入ったら3月初旬に2回続けてフランス語
検定についての記事を書いていたのだった。

かなりいきり立ってああだのこうだの勉強法などと書きまくっていた。大騒ぎして
受からないと「かっこ悪い」などと思ったりする所まで頭が働かなかったと言うより
わざと断言してひっこみがつかなくなってしまう事で自分のお尻をたたきたかった
というのが唯一の方法だった様な気がする。

さて、6月の21日に筆記試験を受け受かってしまった。2次試験は口頭で、7月の19日、
最終結果は8月の11日に出た、これも受かってしまった、まもなく家に1級のお免状が
送られて来た、あれあれ。

確かに嬉しい、もしかしたら私の人生でこんなに勉強まともにしたのって初めてじゃぁ
ないかなと思う位弱い自分に鞭打ったという感もあった、勉強したくない、テレビみて
ぐでぐでしたい、単語の暗記も何十回やっても頭に入らない、等々、でもまあ目標
の70%位の努力はしたなぁと思いつつパリの試験場に向かった。

朝8時半試験開始は随分早い、通常人間の脳は目を覚ましてから3時間立たないと
本当の意味で稼動しないのだとか何かで聞いていたのでパリの友人宅に泊めて
もらう時に誠に申し訳ないが朝5時半には起きる事になるのでなるべく音をたてない
様にするからと前置き、彼女は快く引き受けてくれた。携帯電話で目覚ましをセット
したのだがあんまり良く眠れなかった、緊張?もうここまで来たら開き直る以外何
も出来ない、別に大学受験じゃあないのだからと自分に言い聞かせてもだめ、ここ
でも弱い自分と向かい合う事になった。

パリは20回近く行ってるが地理感全くなしなので会場が見つからないで遅刻など
と言う事のない様に7時ちょっとすぎに出たのだが、会場には8時前に着いて
しまった。やはり日本人と思ったのは、受験者が既に10人位まだ開いていない
建物の前の階段等に座ってまっている、若い!受験者が若いのだ、7割が大学生
の年齢、多分フランスの大学に入る為の資格として受けにきているのだろう。
ちなみに1級が受かると、日本人がフランスの大学に入る為に通過せねばならない
試験の一部が免除になる、つまり大学の授業についていけないレベルではだめです
よという事らしい。あとは30〜40代の既に仕事をしてるらしい人達、
ビジネスマン風の男性エトセトラ、いづれにしても私が一番年長なんだろう、ま
どうでもいいや。

級によって部屋が分かれていて2級3級等々だが、1級の人数が予想外に多かった
のでびっくり、100人弱はいたのではないかと、こんなに居るんだ。
試験開始のサインで始めたが、2時間の筆記の間にあらかじめ自分なりに考えた
時間配分のテクニックを使った。単語、前置詞、同義語等々の短い質問の他に
長文解読が4件もある、で最後は和文仏訳。2冊買った手引きに模擬試験問題
があって、やってみたら始めから律儀に順番にやっていると長文解読の半分位
でエネルギーが尽き果ててしまう事が判っていたので、自分なりの防御策と
してまず手始めの短い質問、単語等のグループを終わらせたあと、いきなり
最後の和文仏訳にとりかかった、各問題にかける時間は何分と見積もりを
とっておいた。和文仏訳は日本語にとらわれない事と自分に言い聞かせ
つつ、とにかく仏文らしい文章で「意味を伝える」事にした。これはもし
最後にまだ時間があれば見直しする事として....

さて重い重い長文解読4問。各質問がA4用紙の半分強の長さというか、それ
ほど長くはないのだが、各問いの要求がそれぞれ違っていて、文章の穴の
ある部分に適切な章を入れるもの、与えられた動詞の原型を適切な時制等に
するもの、質問に日本語で答えるもの、これが字数の制限ありで手ごわい、
とまあ4問を終了したあとはぐったりしてしまった、が、あれあれまだ
随分と時間がある、え?1時間も残ってるの?一番苦手で飛ばした同義語
の問いを十分して見直しが出来るではないか。と思った瞬間、はいあと10分
で終了ですよ、との試験官の言葉、ええ〜っ!なんと超勘違いをしていた
のだ。筆記試験のあとの書き取り試験の時間を一緒くたにしていたので
あった。

落ち着け、落ち着け、10分しかないのではなく、10分あるのだ、と言う
解釈で、同義語をなんとか終了。これはもともと大の苦手なので1問出来れば
いいやと思っていた位だけど、とにかく空白を残すのだけは避けようと思った
だけで、埋めればいいや。斜め前に座っていた若いお嬢さんはもう机に
つっぷしてギブアップ状態だったのがおかしかった。

終了後30分ほどして聞き取り試験、CDで流れる文章の書き取りと、
テキストの内容に対する質問に文章で答えるもの。もうこれは全く見直しの
時間なし。

全部終了して会場を出る時に模範解答例が入り口に置いてありますと言われた
のだが、もう見るのも嫌になってそそくさと友人との食事の待ち合わせに
向かった。

どうなんだろうなぁ、最低60%必要な点数をどれだけ取れるのだろう、
さっぱり判らない、まあ落ちたら来年までたっぷり1年あるからいいや
等思いながらメールでの発表をまったのだが、メールの届いた朝は流石に
中をみるまで心臓がどきどきした。開けて「合格」とあった時の嬉しさは
やはり一口では言えなかったというのが正直な所で、まあ後の2次試験
は長くなりすぎるので割愛するが、兎に角お面上を手にしてしまった。

確実な所は自分の傲慢さが満たされたと言う事なのだが、これが果たして
何をもたらしてくれるのかはさっぱり判らない。それと、受かったと
言っても知らない事は底なしにあって、到達したというよりこれから
始まるというのがまさに実感なのであった。

個人的な体験を長々と書いてしまいましたが、怠け者の私としては結構
頑張って報われた嬉しさを綴ってみました。






































 
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■□ 効果的な試験勉強?
などと、大学受験を放棄した私が大きな事は言えないのだが、前回フランス語
検定を受ける事にしたくだりの続編とでも思って読んでいただければ有難い。

注意力散漫で、物覚えが悪い自分が今回だけは我が人生で初めてかなり本腰
を入れてチャレンジする事をきめたこの試験、十分努力をしなかったという
後悔をしたくないという気持ちが強く頭をもたげている。もちろん受かれば
ある意味で人生最良の日(大袈裟)となる事は確実だが、落ち方でも
ああもっとあれもやっておけば、これもしておけば、という後悔と共に
落ちるのは嫌だ。どう逆立ちしても自分の能力では手も足も出なかったという
のであればあきらめもつく。

そう思った時に、ではどうすれば自分が後悔しない最大限の準備が
できるのか?と考えた。

週中1日24時間、そこから差し引かねばならないのは、睡眠時間
7〜8時間、会社にいるのが(家にはいない公的な束縛がある時間帯)
8時間。非常に幸いに通勤時間は往復でも30分強(徒歩で行ける至近距離)
夕食の準備と食事と後片付けで2時間(これ位はたっぷりとりたい)。
朝起きてから出かけるまでの準備と朝食1時間弱。これだけ差し引くと
残りが4時間半となるが、だからと言ってこの時間を全部当てはめる訳
には行かない、ロボットじゃないんだから大切な「休息時間」をとらねば
ならないのだ。

なんだなんだ、最大の勉強とかいいながら休息などと言っているのはと思われ
そうであるが、ここがネックなのではないかとも思うのである。休息は働く
為には必要不可欠で、機械じゃないんだからばちっとスイッチを点けたら
即稼働可能という訳にはいかないのである。残った時間全部勉強や仕事して
たら即病気か鬱になるだけである、理論と現実の違いを考慮にいれるべき
だというのが少なくとも持論なのである。

始めのころは夜食事をした後テレビの前で寝転がっていてもテキストを
手にしてちらちら見ていたが、疲れるだけで嫌気がさしてしまうのである。
勉強を投げ出さないコツとして「嫌な気持ち」がセットになって
しまわない事が絶対条件ではないかと思う、どこかで全くオフの瞬間が
ないと辛くなるだけで頭にも入らない、いつも勉強ばかり「している様な」
気持ちになるだけで実際は効果がない。

課題はこの4時間半に休息を取り入れてどうやって勉強時間をひねり出す
かとなった時、時間の長さのみならず「質」を考えてみた。というのは
ある朝訳もなく早く目がさめてしまい5時半頃だったので台所で朝食を
とりながら家を離れる8時までたっぷり時間があった。それでテキストを
開いてみたのだが、朝はテレビもついてないし、徐々に目が覚めつつ
あるので結構集中できた。なんだかだで1時間半ほど勉強できた。そうする
と罪悪感も減る、でもってその夜は思い切りテレビを見て寝転がって
しまった(ああ〜)。

結局仕事が終わって帰ってきて風呂に入り(そうだその時間も差し引く
のを忘れていた、となると残は更に4時間に減る)食事をしてお腹が
いっぱいになった後夜勉強に集中するというのは実に難しいし辛い
のである。が、朝は私に関しては結構すっきりしていて集中力がでる、
実際は人間の頭は起床後3時間たたないとダメとかいうのだが、それでも
夜よりはずっと質が上がる気がする。

朝勉強をするのが良いのは、体が朝型になる訓練にもなる。試験は
深夜にはやらないでしょう、大体が朝9時とかそういう時間に始まる、
だから頭をそういう時間に稼働できる様にしておくのは大切なのである。
人によっては深夜が良いという人も居るかも知れないが....

プラスその気になれば10分とかたとえ5分でも単なる暗記物は
ちょこちょこと何度も見ているとそれだけ記憶する可能性も高くなる。
人間が何かに集中できる時間というのは何と30分と言う事を聞いて
びっくりしたのだが、もしそれが本当なら1時間ぎゅうぎゅう無理
するより暗記事項はちょこちょこ何度も見ている方が良いのでは
ないだろうか?1日10分エクストラをひねり出すのは十分可能
であるし、それ位の間なら我慢も出来る。

が、暗記もクセモノで、50回位見ても覚えないという情けない
状態がある。ところがある日、練習問題のなかにどうしても
見つからない単語があってあれかこれかと抵抗した揚句
ギブアップ、悔しかったが答えを見た所「え〜っ、なんだ
こんな言い方するのか?」と思った所たった1回で覚えてしまった、
この私がである。という事は暗記物のコツとして。隠娃芦鵑任
覚えるまで繰り返す、だけでなく何か強い印象に残る事に
出くわすといった方法もあるのではないかとも思った。

以上は私の自堕落な性格にあった方法をなんとかごまかしながら
捜しだした方法であって、すべての人には当てはまらないと思う
のだが、ほぼ確実に言える事は「嫌だ、苦しい」という状態に
なる事を避ける様にするとかなり助けになるのではないかと思う。
だって勉強するより遊んでた方が楽しいにきまってるもんね、
でもって楽しいことは人間どんどんやってしまうのである。
でも、「それ」を潜り抜けた時の達成感を味わいたかったら
ただ待ってるだけではダメなんだという事は確かなのである。



















 
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■□ 鍵を手にした後?
フランス語の検定の1級に挑戦してみようと思った。
Amazon comで手引きを買って模擬問題をし始めて2級との差がいかに大きいか、
自分の仏語能力がいかにいい加減だったか思い知らされた。30年近くここで
フランス語で生活しているので「そこそこいい線行くだろう」などと思っていたのを
見事に覆された。

たとえ50年居ようと勉強しなければレベルはあがらないのである、ちょっと
言うのは憚られるがフランス語が母国語の人でもある程度の学力とレベルがないと
答えられない類の質問もある、政治、経済その他の用語を知らねばならない。
ページいっぱいの日本語の用語30語ほど並んでいるのを訳せと言われ
ても3つ4つ出来れば良い方でなんとこんなにも出来ないのかと愕然とし、仏語
を見ると新聞やらテレビ、ラジオで漠然と耳にしている言葉なのである。
要するに「漠然」と判ったつもりで聞いているが判ってないので、日本語
とフランス語のヒモ付けが出来ないというか正しい日本語すら出てこない。
実に甘かった自分に改めてびっくり、がっくり。が兎も角決めてしまったのだから
玉砕しても進む事にしている。なんてすごい事を言っているが....

このお蔭で生活が変わった。その手引きには600時間の勉強が必要と書いてある
が試験日の6月22日まで日割りにすると1日6時間弱は勉強せねばならない、
そんなの不可能。週中は仕事だし、夜はご飯食べるとテレビの前でうたた寝という
実に自堕落な毎日を送っていた私なのだ、土日にするなどと言ってたら全く時間
が足りない。

特に長文解読は文章に慣れないと意味を掴む事ができないので訓練が必要となる。
最善の策などないので常に手引きを手に持って時間があればちょこっと見る以外
に方法がない、あとは新聞をまめに読む事にした、途中で投げ出さないでひとつ
の記事は最後まで読む。テレビのニュースも漫然と聞かないで判らない単語は
調べる、この姿勢を取る様にした。が本来怠け者の私なので隙あらばでれでれと
したいのである、自己管理のできない自分との闘いでもある。

これを決めたのには幾つか理由はあって、こんなに長くフランス語に囲まれて
暮しているけど、一体自分のレベルはどの程度なのかさっぱり判らない。
慣れだけで喋ってるから一見上手?みたいに聞こえるけど、本当の所はどう
なんだか。それと、毎日同じことを繰り返して足踏み状態の自分の日常に何か
確実に明らかに違いを見出したかった、更に、忙しい忙しいと口走っては
いるが、土日など実にいい加減に家事を終わらせると本当に大したことをして
居ない自分にはたと気がついたからである。ぐだぐだとテレビを見る時間は
有り余るほどあるのである、もてあますほどある。自己管理ができないので
何か強引に引っ張られるものも欲しかった事もある。

更に大きな理由は今まで特にこれと言った確固たる目的もなく兎に角
生活費を稼ぐ為に仕事をしてきたが、そろそろその生活を変えたいと思う
様になった。もちろん仕事を続ける過程でいろいろ覚えたことも
あるが、それは単に「慣れた」という域を出ない、何か一山超えて手に
入れたというものがほぼない状態をせめてちょっと変えてみたいと思った
からである。自分の生活がなにか足踏み状態なのを抜け出すには具体的
に違うものを手に入れなければ何も動かないと気がついたという方が
的確かもしれない。

とまあ御大層な事をいろいろと並べたてたが、もし、もしも受かったら....
それが具体的に何をもたらしてくれるかは何の保証もない。
もしかしたら何かを開く鍵を手にいれると言った未知の期待もある、が
これは何がどうなるかは全く判らないし、ほとんど何も変わらないかも
知れない。ただひとつ達成感と共に私の自己満足は確実に満たされるだろう。
とにかくその鍵を手に入れてみたいのである。

全くまだまだ何がどうなるか判らないのにでかい事ばかり言う私なの
である、はよ勉強せい!

















 
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■□ 子供の自立更に親自身の....
昨年10月初旬娘が1年間の予定でオーストラリアに発ってから早足掛け5か月目に
なってしまった。

今流行りらしいworking holidayとやら言うプログラムで、1年間アルバイトとして
仕事が出来るビザがおりるので生活費を自分で稼ぎながら旅行をし、出会い、経験
そして願わくば英語に慣れる、という目的が主旨らしい。

とは言え若い人達の事、一番の目的は退屈な今の日常から離れて未知の世界で楽しい
経験をという事にあり、小遣いが稼げればさらに儲けものという結構甘い考えも
なくもない。まあ、甘い夢だけでは現地に着いてから現実にたたかれるのでそれも
是正されるか、あるいは自分の甘さゆえに行き詰まり失意と共に帰ってくるかは人
それぞれなのだろう。

かく言う我が娘は今年の始め美術学校の一年目に嫌気がさし以前から希望だった
こういったプログラムを見つけて来た。親としてはせっかく高校が終わりその上の
学校に行ったのを中断して1年も何の経歴にもならない半分遊びの滞在など当然の
ごとく反対したのだが、結局押し切られた。と言うより嫌々ながらの学校を親の
ごり押しだけで続けさせ、就職し、仕事に追われ、ある程度の年齢になった
時に後悔するなら今のうちの寄り道は無駄ではないとこちらが考えを変えたと
いうのが正確な言い方かもしれない。

最初は現地のホームステイ等を捜したが、1年で100万円以上相当がかかる
という事でああこれは無理と思っていた所、別な機関でその1半額以下ほどの
ものを見つけてきた。そんなに安いのでは怪しげなものではないか?と半信半疑
で説明会に行った所なかなかしっかりした機関で現地各地に関連の事務所があり、
仕事の斡旋からその他諸々のアドバイスをしてくれるとの事。なぜそんなに安い
のか?(とは言ってもやはりかなり大変な額なのだが)ホームステイがない為
費用は往復の航空券、ビザの申請、旅行保険、現地着から4日間の宿の確保以外
は自分で仕事を捜し住居を見つけて「自活」をするせいだとの事。
もちろんほぼ3ヶ月程の当面の生活費は渡す必要はあったが、これなら可能
という事で、踏み切った。

もちろんいくつかのハプニングはあり得ると思っていたが、出発から乗継便が
遅れドバイ経由が「例の」マレーシア航空の乗継でクアラルンプール経由、
予定より5〜6時間遅れてなんとか最初の地Perthにたどり着いたものの、
チェックイン荷物が着かない。紛失届けをしろ、ああのこうのとメールで
やりとりをしたが、最初の宿に着いてから3日後にやっと荷が届くまで
着のみ着のまま、でもまあ一応は安心となった。

4日間ほど与えられた宿に居たあと、郊外のとあるご婦人の家にただで宿泊する
代わりに庭仕事やら諸々を手伝うという事で1週間ほど滞在。そうこうするうち
にインターネットで宿と農園の仕事が見つかったとかでMelbourneに移動との
事、がこれがとんだ事で450オーストラリアドルを前払いで払い現地に着くと
約束の宿も仕事もない、旅行者相手の詐欺だったのである。この詐欺師は前科が
あり娘達3人プラス2人のフランスからの若者も含め5人がひっかかった。

急きょオーガナイズした機関の現地事務所に連絡、とりあえず多少離れた地に
あるボートハウスに宿を見つけてもらい仕事も斡旋してくれた。そのボートは
中々居心地がよく若者も沢山でよかったのだがさて朝5時起きでオレンジの収穫
の仕事が始まると....巨大な籠にオレンジを満載すると27オーストラリア
ドルという事なのだがひと籠に約2600個程入る大きなものをいっぱいにする事が
出来ない。結局12時間ほど働いて20ドル前後にしかならないとの事、宿と
食事を払うと足がでてしまう、これではとんでもないと一緒に行った3人のうち
娘ともう一人は他に移動することになった。一人はそれでも相棒を見つけ籠を3つ満載
出来るとの事で残る事になった。

Melbourne から Brisbaneに移動、1週間ほど市内のユースホステルに宿泊、出発
から1か月以上経っていたがまだ無収入。出発前に簡単に見つかると思っていた
通りにはならない、が、なんとかせねばとそこから近いRussels Islandに移動、
またまた一人暮らしの年輩のご婦人の家にお世話になり家事その他と引き換えに
無料で宿泊。居心地は良かったのだが兎に角仕事は捜さねばならない、そうこう
するうちに1週間が過ぎたある日、2人の娘の目の前でそのご婦人が発作を起こし
救急車で病院に担ぎ込まれる事になった。

家主の居ない家にそれでも近所の援助もあり1週間弱は寝泊まりしたのだが、
あまりにもずうずうしいのではと気が気でない娘達は掃除、洗濯その他全てを
こまごまとした後移動中に仲良くなった若者2人の口利きでまたまた別な農園
に移動、今度はキャラバンに寝泊まりし、プチトマトと玉ねぎの収穫とあいなった。
やっと、やっと、オレンジ畑の倍近くの収入となりキャラバンは最初のボート
よりうんと宿泊代が安い事もあって多少は採算がとれる状態にこぎつけた。

そこで1週間ちょっと働いているうちに農園の持ち主から声がかかり、またまた
1時間ほどの距離にある農園に移動、今度は各自部屋も与えられ、週休が2日
になるとかで喜んでいたが、今度は深夜の2時起床という過酷なもの、でもまあ
それは本人達が続行するかしないかは決める事になるのだろう。

家ではシャワーを浴びるのにほぼ1時間を費やしていたのが、そこでは4分当たり
1ドルという事でなんでも超スピードでシャワーをするテクニックを身に着けた
そうである。後は爪を伸ばし色々なマニュキアのおしゃれをしていたのが、野菜の
農薬で手があれてそれどころではない。食べ物もあれはダメこれは嫌とは言って
おられず、予算を切り詰める為にパスタがほとんどとか、が途中で風邪を引いて
食事の大切さを痛感、自分から進んで見向きもしなかった野菜を食べる様になった。
まあ色々家では味わえない体験をしてはいる様である。

話が前後するが、到着後1週間ほどして仲間の一人の子のお兄さんが交通事故で
亡くなるという不幸があり、その子は1週間ほどベルギーに戻ってまだ出直し
という出来事もあった。

農薬で手があれたり、捻挫をしたり、相棒は手にかなり大変な怪我をして
手術をしほぼ1か月仕事ができなかったりとまあいろいろあったがここでは
なんとか多少の蓄えはできたとかで来週でひと段落、知り合ったゲイの男の子
と3人でほぼひと月のroad tripに出かけスキューバーダイビングやらスカイ
ダイビングをするとか、まあこうなったら心配などしてもこちらは手も足も
出ない。88日の労働日数を確保すると滞在ビザが更新でき2年目もいられる
との事で帰ってくるつもりはなさそうである。

親離れは結構容易いが、子離れをせねばならないこちらの方が手がかかる
のかもしれない。












































 
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■□ 風の影
5月14日に小説「風の影」について投稿したものを読み直し誤字と
脱字、変換間違いがぎゃっとする程あり手直ししました。もうちょっと
気をつけて書くようにします、その気になると書きなぐったまま投稿
という事になるのでこれはいけませんね。
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■□ 夫の絵、ほんの一部ですが....
Eau tombée
| 諸々 | comments(0) |
■□ 職場での失敗
人間は機械ではないので間違いを犯すのは避けがたい、特に職場でのミスは
嫌なものである、大袈裟な様だが時に目の前が真っ暗になる事もある。
誰だって好き好んで間違える人はいない訳だから失敗をした場合特に責任感
の強い人にとっては大変な痛手で、返ってこういう場合は面の皮が厚くて
無責任な方がずっと楽だなぁと私自身思う事がある。

が、どう逆立ちしても起こってしまった事はどうにもならない事実なので対策
を立てねばならないのだが、経験者として大した事はいえないまでも幾つか
「助け」になるコツと言えば言えない事をいくつか挙げたいと思う、避ける
べき事とその先の対策という事か。

避けるべき事として隠す事。 これはもし隠せおおせたとしても自分の中に
汚点となって残る可能性があるし、それが発覚した場合単に失敗という事
プラスそれを取り繕う行為が何倍ものマイナス点となってしまう。

次に言い訳をする事。 失敗という事実は色々な状況があっても良くない
結果は事実であるのでそれを正当化する要素を捜してきてご披露しても
ほとんどの場合助けにはならないばかりか、正当化する人間の信頼度が
ぐっと下がってしまう。 色々な要素が土台になりそれが結果として
自分の手がけた事の失敗という形で現れた場合かえって言い訳をしない
方が周囲に見る目のある人にはその事情が見える可能性が強い。

個人的なひとつ例を挙げると、私が今の会社に入って間もない事、
今から8年ほど前だが、事務所が同じ建物内で違うフロアに引越しを
した。 いろいろな変更がある訳だが、電気のメーターの交換があり
それを大家の担当者がしてくれた証明のフォトコピーが届いた。
それをファイルしたのだが、それから電気代の請求が来なくなった。
来ないまま1年が過ぎある日突如電気の供給会社の作業員が2人
事務所に現れ「電気を切る」というのである、びっくりしてなぜか?
と聞くと電気代を払っていないからとの事。え〜っ、1年前から請求書
など来ていないではないかと言うと、督促状はなんども送ったし、
最終勧告まで送ったとの事。いや、そんなもの影も形もないので
ある。

作業員にとってはどうでもいい事でバチンと会社のメーターを
切られてしまい、電気からPCまで全て動かなくなってしまったの
である。

パニックになった私が大家の担当者に電話をした所判ったのは
書き換えをした請求先が何と大家になっていた、がその1年間
の請求、督促、最終勧告をもらった大家の経理は全く何もせず
放ったらかしにしておいたのであった。

非はどこにあるか?この点が微妙であるが、私は自分の責任
の部分を回避するつもりは全くなかった、事実、もし私が不審に
思って電話一本かけていればこんな事態にならなかった事は
事実だからだ。 が、一方、大家の経理に至っては店子の事務所
の請求の督促、最終勧告(これは書き留めで来るはず)まで
もらっていながら全く何もしていなかったというのも信じられない
事でもある。

結局は1年分の滞納と遅延利息を払い、1週間ほどで回復
をしたのであるが、会社で1日でもPCが使えないというのは
大変な事で、この失敗は私の評価を多いに下げた。 と言うより
なぜか当時の上司は私を大変嫌っていたので(理由は判らない、
自分で言うのもおかしいが私は生意気な社員ではない、むしろ
地味でおとなしい人間である)これで更に大きなマイナス
ポイントをつけられてしまった、が、この上司に返って言い訳
をしたとしたらもっともっと彼の神経を逆なでしたであろう、
彼にとっては無能社員の失態という以外の何物でもなかった
からである。 ちなみにこの上司とは本当にウマが合わず
他にもいろいろと逸話があるのであるが、今思いだすと彼
自身が非常に不安定で見解の狭い(あえて言わせてもらえば)
人であった事も事実である。

とまあ、失敗した場合に言い訳をしない事はその時点では
事実ポイントは落ちるのだがちょっと離れた目でみると
言い訳は「絶対」に何のたしにもならない事は
言っておきたい。

上司の評価にもいろいろあって、確かに超有能という事
にはならないだろうがそれは仕方がない、
それよりもその後何年かの真面目で正直な部分でじわ
じわと回復する方が何にもならない取り繕いの正当化
より遥かに良いと私は思うのである。上司のみならず、
同僚にも真面目で正直である事が浸透しているのはマイナス
要素にはならないと思う、それが昇進等にプラスになると
言う意味ではないが。

それと一番助けになるのは、出来てしまった失敗にあまり
拘りすぎて後ろばかり振り返るより、とにかく前を向いて
仕事を黙々と続ける事ではないかと思う。 故意に
した事でない場合それで首になるほどの事はよほどで
なければないだろうから、上司の信頼、同僚の信頼
それと自分自身への信頼をあまり疑う事はしないと言う
事ではないか、誰にも言わなくとも良いが心の中で
「この世の終わりではあるまいし」と思ってしまっても良い
のではないか、これ位が自分の失敗(上記の他にも
大小ある)で得た結論でもある。



 
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